2年半ぶりにミャンマーの僧院、尼寺学校へ再訪と調査、そして寄付を届けました。
2年半ぶりに
阿部 亮財団の建設支援した
僧院学校、尼寺小屋学校へ再訪、
寄付を届けました。
阿部 亮財団では、これまで、お坊さんが校長先生の僧院と、尼さんが校長先生の尼寺に合わせて6校、学校建設を行ってきました。その中の一校「チャンミャワディ尼寺小屋学校」では、2019年より「日本語を教えようプロジェクト」として、子ども達の未来の選択肢を広げるため、日本語を教えてきました。
ところが、2020年2月「日本語を教えようプロジェクト」第2期開始直後に、新型コロナ感染拡大により、渡航を断念せざる得ない状況になり、さらに2020年2月1日からは、ミャンマーの政変に伴い、より直接的な関わりが困難になりました。今回、新型コロナの感染者も減少していることや、ミャンマーへの入国も可能となり、2年半ぶりに、各学校へ再訪し、調査、寄付を行いました。
最初の訪問:
ティリナンダー尼寺子屋
小学校(2016年建設)
3階だての校舎
- 校舎の壁にドナープレートも当時のまま
- 現在80名の子ども達が勉強しています
- 訪問した時は、子ども達は
瞑想をしていました。 - 社会貢献支援財団様からお預かりした
寄付をお渡ししました。
- この尼寺には、シャン州パオ族の子ども達が31人暮らしています。3年間、ここに住んで、仏教と学校の勉強をします。後に、実家に帰り、普通の暮らしに戻ります。日本で考えると、仏教を学べる、寮生活といったところ?(^^)
- 「コロナ禍、政変と苦しい日々ですが、子ども達のために学校は続けたい」とおっしゃっていました。再訪を喜んでくださいました。
ティリナンダー尼寺子屋小学校には現在80名の生徒(ティリナンダー尼寺に住む尼の子ども31人、近所の尼寺の子ども、近所の僧院の子坊主、村の子ども)が通っています。新型コロナの感染の拡大もなく、無事に過ごせているとのこと。寄付者の訪問がもともと少ない尼寺ですが、コロナと政変で今は、寄付者は1人も来ないとのこと。
(コロナ第1波の2年半前に、男性の寄付者が来て、SNSで尼寺のことを広めてくれて、寄付が集まったことがったが、それのみ、とのこと。)
今は、週に2日の托鉢で、なんとか生活を送っていました。現在の課題は先生たちへ支払うお給料、払えない時は、先生たちにお給料の支払いを待ってもらっているとのこと。日本からの寄付をとても感謝されていました。この学校は継続しているのが精一杯の様子を感じました。校長先生が糖尿病を患っており、托鉢に出れないこと、また学校の校舎の手入れや、掃除が行き届いていないため、まずはそこを改善できるプロジェクトが必要だと感じました。
二校目の訪問:
チャンミャワディ尼寺子屋
小学校(2019年建設)
- 2階建ての校舎、先日まで雨季で校舎前は水があふれていたそうです。(右)
幸い教室は大丈夫でした。 - 9月初めの大雨による敷地内の様子。
- 大雨が続き、学校への通路が壊れたので、
阿部 亮財団が修繕費用を寄付しました(右) - 寄付により修繕された学校への通路
阿部 亮 財団、社会貢献支援財団様からの
寄付、お菓子等を届けました。
- ミャンマーで寺子屋学校を支援している
安倍昭恵夫人から頂いたロンジーを先生方に届けました。
沢山のロンジーに先生方から歓声が(^^) - ミャンマーの素敵な雑貨屋「dacco」のオーナー和田直子さんと、和田さんの知人で鹿児島のイタリアンレストラン「イルチプレッソ」様より沢山の本をご寄付頂きました。(右)
- 「イルチプレッソ」様からご寄付いただいた絵本の数々。先生方にも世界観を広げる本をプレゼント頂きました。ありがとうございます。
- 「dacco」のオーナー和田直子さんよりご寄付いただいた日本の絵本。日本語の授業で使ってください、と頂きました。ありがとうございます。子ども達がいつか日本語で読めるように…。
- 「dacco」のオーナー和田直子さんから、
本の説明とご寄付頂いた「イルチプレッソ」様の思いを話して頂きました。
『本を読んでたくさんの世界観を知って欲しいし、
そして、自分でそとの世界を知ることの大切さと、
客観的な視点と、寄り添う心の優しさを学んでくれたら、
きっと、大人になる頃には良い世界になるはず。』
先生方と子ども達は静かに聞いていました。
素敵なメッセージですね。 - 新しい本にワクワクする子ども達
- 絵本の読み聞かせ スタート!
- ノリにのって演じていたら、
子ども達から笑いが…(*’▽’)
- 思わず笑顔!かわいいね!
- 学校を建てた阿部会長を紹介しました。
日本との繋がりを感じて、これからも、
自分の学校を大切に使ってね。
- お昼をご馳走になりました。いつも美味しい ミャンマー料理です。ここの学校は校長先生も料理に腕をふるいます(^^)
- コロナで亡くなった方の親族から功徳を積むために、寄付された新しい建物です。
ここで、昼食をいただきました。
- シャン州から新しく預けられた
なんもんちゃん(4歳)と、校長先生 - 2019年にヤンゴンに住む日本人ファミリーが参加した植樹会で植えたマンゴーも大きく成長。来年あたり、実がなるそうです(^^)
楽しみですね!
日本語指導を行ってきたチャンミャワディ尼寺子屋小学校には、現在135名の生徒(住んでいる尼の子10人、周囲の村の子ども)が通っています。新型コロナは校長先生が感染した以外、感染拡大はなく、無事に過ごせているとのこと。現在の課題は、生徒が135名のため、教科書代がかかること(1人,1冊1500ks)。そのほか、この学校では、政府の推奨する無料ワクチンを子どもに打たせていますが、血液検査の費用と、送迎にかかるガソリン代、運転士の人件費をまかなうのに苦労しているとのことでした。もうひとつは、先生方へ支払う給料も課題とのこと。寄付者の訪問は、経済悪化で以前よりは少ないですが、時々訪問があるようです。托鉢には週2回、校長先生と副校長先生も参加しています。その方が寄付が集まりやすいそうです。
説得力の違いでしょうか…(^^ゞ
2年半ぶりの再会でも、変わらず温かく迎えてくれました。またコロナ禍、阿部会長や日本の皆様のことを心配されていました。日本語の教材も今も取っておいてくださいました。いつか再開したいと思います。また校長先生にずっと提案している「学校菜園プロジェクト」。有事の際に、自分たちの敷地で育てた野菜があれば、寄付に頼らないで、食費の節約になるのと、健康にもいいし、食育になるということで、話をしました。有事の今、ようやく理解をしてくださり、今後「学校菜園プロジェクト」に着手したいと考えています。ひとつのモデル校になるといいですね。
三校目の訪問:
アッパマダ尼寺子屋
小学校(2015年建設)
- 3階建ての校舎、青空と緑の校舎の
コントラストがきれいです。 - 学校の正門。コロナ感染拡大の最初の一年のみ学校を休校したそうです。
- 教室いっぱいに子ども達が
英語の勉強をしていました。 - 低学年のクラスです。かわいい!
- 3階の教室では
ひとつの教室を、3つに分けて授業しています。 - こちらは算数の授業。先生はなんと
アッパマダの卒業生。大学生になった今先生として教えに来てくれているそうです。
- 社会貢献支援財団様からのご寄付を届けました。
- 2010年から学校をスタート、ずっと子ども達のために継続したいと
話されていました。
- 金のプレートは、阿部 亮 財団のドナープレート。建設当初の教室の扉が古くなり、新しく青い扉に交換。
自分たちで修繕して、
学校を大切に使っていました。 - 鉛筆削りをする子ども達
アッパマダ尼寺子屋小学校には現在200名の生徒(尼寺に住むビルマ族の尼の子ども20人、子坊主24人、他は近所の村の子ども)が通っています。学校を建てた当時は、学校の周囲には空き地がありましたが、今は平屋で社宅のような簡素な家が立ち並び、そこに住む子ども達も通っています。
新型コロナの感染の拡大もなく、無事に過ごせているとのこと。週に2日の托鉢のうち、1日分は自分たちの食費、もう1日分は先生方のお給料に回すようにしているとのことでした。
(先生のお給料の問題はどの学校でも共通の課題ですね。)
ミャンマーは生活が苦しくなっているため、市民の寄付者は来ないそうです。日本からの寄付をとても感謝されていました。学校贈呈式を時々思い出すと、おっしゃっていました。どういう状況であれ、子ども達のために、学校を続けていきたいとおっしゃっていました。この学校は、卒業生も協力して教えに来ており、授業に力を入れている様子も伺えました。
今後、ここでも「日本語を教えようプロジェクト」を行うのも効果的かもしれないと感じました。
四校目、五校目の訪問:
ポニャウィットディ僧院
小学校:左(2013年建設)
ポニャウィットディ僧院
中学校:右(2016年建設)
2年6か月ぶりに再訪すると、以前のような活気はなく、
柵に囲われて学校はやっていませんでした。
学校の周囲を取り囲むようにしてあった村人の家々が
すべてなくなり、そこには雑草が生い茂っていました。
- ドナープレート
- 校長先生からの申し送りが貼られていました。
2007年、08年から開校し、200人を教えてきました。
校長自身が体調が悪いこと、そのほか、いろいろな理由で2021年、2022年 臨時閉校します…といった内容が。
ポニャウィットディ僧院小学校・中学校は現在上記のように、臨時閉校という申し送りが校舎に張られていました。張り紙に校長先生の連絡先が書いてあったので、電話してみると、現在、校長先生は、持病の悪化と、体調を崩し、ヤンゴン郊外に住んでいること。周囲の村人達は、開発のため、追い出されてしまったこと(もともと正式な許可なく住んでいる人達)、よって、200人ほど通っていた子ども達もいなくなり、今後ここでの学校継続は難しくなったこと。
学校の登録はしてあるので、いずれ子どもがいる地域で、学校を再開したいと考えているとのことでした。学校の敷地を含むエリア一帯に柵がはりめぐらされていたので、よく見ると、ミャンマー語で「プロジェクト」と書いてある張り紙が、貼ってありました。何のプロジェクトか、詳細は不明ですが、柵が はりめぐらされているエリア一帯の所有者は中国人だとか。(学校の敷地のみ、インド人が所有者)また驚くことに、学校内には、8人家族が住んでいました。
話を聞いてみると、学校に子どもを通わせていた村人家族でした。行く場所もなく、校長先生に留守番の許可を得て、住んでいるという話でした。家計の収入は、 空心菜を売って得られる収入のみ。赤ちゃんを抱えているお母さんが、先が見えない不安を涙ながらに話していました。
今後も学校の行く末を見届けたいと思います。
教室で暮らす8人家族
チャンミャワディ
尼寺小屋小学校の
「日本語を教えよう
プロジェクト」の
教え子と再会しました。
- ヤンゴンの日本食レストラン「ふるさと」
初めて日本料理を食べます。 - 日本の卵焼きを大根おろしをのせて…
ドキドキ☆
- 焼き鳥を食べて、日本語で「おいしいです。」と感想を言いました(^^)日本食すべてOKでした!
- チャウタッジーパゴタにて。
- チャウタッジーパゴタにて。
水曜日の午前生まれ(牙のある像)に水かけをします。 - DreamTrain前で。このロンジーはプレゼントしました。
「日本語を教えようプロジェクト」で、16名の子どもの中で、一番勉強熱心で、
進学の意志が強かったなんろん。1年がかりで、様々な人たちの協力でシャン州の実家からヤンゴンの養育施設、DreamTrainに入所しました。「今、毎日勉強できて、とても楽しいです」と話してくれました。友達もいっぱいいる様子。シャン州で農家をやっているご両親からは「里帰りしなくていいから、そちらで一生懸命 勉強して、幸せになってほしい。」と言われているそうです。実家では、農業をする以外、他にないから、苦労させたくないとご両親の思いのようです。なんろんの成長をご家族全員で応援しています。なんろんの将来の夢は日本語を使って、日本で働きたいそうです。来年N5の試験を受験するそうです。なんろんの里親である、阿部会長へお手紙とプレゼントも預かりました。